ウクライナ避難の母娘
2025-03-18 12:12:49

ウクライナから福山へ避難した母娘の想いと希望

ウクライナから福山へ避難した母娘の想いと希望



2025年1月、ウクライナから広島県福山市に避難している母娘のアンナ・セメネンコさんとその娘たちの物語が、多くの人々に感動を与えています。ロシアによる軍事侵攻が始まった2022年の春、アンナさんは家族を守るため、そして娘たちの未来のために避難を決意しました。

彼女はウクライナのハルキウという町で、家族4人と共に穏やかに過ごしていました。しかし、戦争の影響で状況は一変。夫を残し、二人の娘とともに福山市に逃げる道を選びました。「もし子供が怪我をしたり、最悪の事態になったら、自分を責めることになると思った」と語るアンナさん。その想いは、母親としての本能からくるものでした。

福山での新たな生活



避難から2年半が経った今、福山市での生活は日々の中で新しい形を見つけてきました。アンナさんは日本語の勉強を続け、検定試験にも挑戦する意欲を見せています。「昔は日本語が話せなくて不安でしたが、少しずつ上達しています」と嬉しそうに笑う姿が印象的です。

長女のエヴァちゃんは小学校に進学し、地元の友達もできました。アンナさんは、ウクライナの学校にオンラインで参加しながら、地元の子供たちとの交流も大切にしています。「教育は私たちにとって非常に重要です。子供たちの未来のために、精一杯サポートしていきます」と力強く語ります。

夫との繋がり



避難生活の中で、夫アンドリーさんとは毎日テレビ電話で連絡を取り合っています。遠く離れているため心配はつきませんが、家族の絆は強く保たれています。「夫がこちらに来ることができないのが一番辛い」と語るアンナさんの瞳には、希望と切なさが共存しています。自分が一人で全てを背負っているという重圧を感じながらも、彼女は決して諦めない姿勢を崩しません。

仕事を始める決意



福山での生活が長引く中で、唯一の生活支援金の期限も迫っています。自立した生活を確立するため、彼女は週に2回、福山市内のレストランで働くことに決めました。「ここでの生活を支えていくためにも、少しずつでも力になりたい」と語るアンナさんは、自分の夢を追いかける一方で、子育てもしっかりと両立させています。

彼女が口にする「早く戦争を終わらせたい」という願いは、彼女の心からの叫びです。「戻りたくても、今はまだ無理。早く家族を一緒にしたい」と続ける彼女の言葉には、ただ一つの純粋な願いが詰まっています。経済的不安や言葉の壁、離れ離れの家族への思いが彼女に重くのしかかる中、アンナさんは前を向き続けています。

私たちがこの物語を知ることで、戦争の影響を受ける人々に目を向けるきっかけになるはずです。時折、無力感に襲われますが、アンナさんの生きる姿勢から勇気をもらえます。彼女の未来が、明るいものであるようにと願わずにはいられません。

この状況が早く終わり、家族が再び一緒になれる日を待ち望みます。彼女たちの笑顔を守るために、私たちも平和を願い、行動していかなければなりません。


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