ホンダF1エンジン開発者が語る技術の歴史
2月22日(土)の夜9時から放送される「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」では、ホンダでエンジン開発に携わった浅木泰昭さんが再び登場します。今回の舞台は栃木県にあるホンダコレクションホール。ホンダの情熱が込められた数々の車両が展示される中、浅木さんは「技術のHONDA」の歴史を語ります。この機会にぜひお楽しみください。
ホンダ初の四輪車の思い出
浅木さんはホンダのN-BOXやオデッセイの開発にも携わり、F1のパワーユニット開発責任者を務めたエンジニアです。彼は会場で、何やら不思議な外観の自転車を見せました。この自転車が、一つの原付の始まりだと説明し、生活用品が使われていた驚きの実例を披露しました。戦後の混乱期を象徴するエピソードに、参加者たちは興味津々でした。
創業者の本田宗一郎氏は、1963年にホンダ初の四輪車として軽トラックのT360、スポーツカーのS500を発表しました。宗一郎氏は、乗用車に関する法律に対して新聞で抗議した熱いエピソードも紹介され、ホンダの情熱と技術屋のスピリットを改めて実感する瞬間がありました。
浅木さんは、当時のホンダ車の特徴を語り、二輪メーカーとしての背景を持つホンダのクルマは、その初期段階から独特のものだったと振り返りました。特に、ホンダのN360は大ヒット商品として知られ、その人気の理由を浅木さんが説明する様子は、ホンダファンにとって見逃せない内容でした。
技術者たちの葛藤
69年にはホンダ1300も登場。このクルマの開発を巡って、宗一郎氏と若手技術者たちとの間で意見が対立したエピソードが話題に。浅木さんは「まあ、無理筋ですよね」と笑いながら、その技術的な難しさを解説しました。宗一郎氏が退任した背景や、社内での激震の歴史も感動的に描かれ、MCのおぎやはぎ・矢作兼は思わず「良い話!」と感嘆の声を上げていました。
ホンダは1964年からF1活動を開始し、87年にはコンストラクター部門とドライバー部門でのダブルタイトルを達成。浅木さんは、無敵の名車を振り返りながら「僕の青春」としみじみと語りました。当時、宗一郎氏と1度だけ対面した際の周囲が困惑した行動については、さらに好奇心を掻き立てます。
最新の自動車業界への思い
浅木さんは2015年からの第4期F1活動にも参加し、2019年には初優勝を成し遂げました。当時のホンダエンジンの問題点とその解決策について話す場面では、おぎやはぎも驚愕。技術者としての彼の苦悩や、EV化が進む現代の自動車業界についての考えも語られる予定です。この一夜限りの特別なトークは、ホンダファンにとっても見逃せない内容です。
ぜひ、2月22日(土)の放送をお見逃しなく!