昭和の花やしき
2025-01-09 12:24:23

浅草花やしきの歴史を振り返る!昭和100年の動物園から遊園地への変遷

浅草花やしきの歴史



浅草の名所である花やしきは、1925年の創業以来、数多くの人々に親しまれてきました。元々は花園として誕生したこの場所は、今から98年前の昭和元年、動物園としての営業を開始しましたが、2025年には「昭和100年」を迎えることとなります。この貴重な節目を機に、当時の花やしきの様子を振り返り、その後の変遷をお伝えします。

昭和初期の動物園



昭和6年(1931年)、花やしきで誕生したひときわ可愛らしいライオンの赤ちゃんは、当時の人々の心を捉えて離しませんでした。入園口には、ペンギンなどの日本では珍しい動物を紹介する看板も掲示されており、多くの来園者が訪れました。明治19年からはトラや象などの飼育が始まり、大正12年には世界的にも珍しいトラの5つ子が誕生。「猛獣園」としてその名を馳せていました。

しかし、大正12年に発生した関東大震災は、その運命を大きく変えました。多くの動物が延焼する中、花やしきは避難所として使われ、生き残った動物たちも余震による混乱を避けるために薬殺されざるを得なかったのです。生き延びた動物たちの供養を行うため、昭和5年には『鳥獣供養碑』が建設され、現在も供養のために花が手向けられています。

遊びの場へと進化



震災から復興し、昭和元年以降はライオンやシマウマ、白熊を飼育しつつ、徐々に遊園地としての側面も強まっていきました。昭和6年にはライオンの赤ちゃんが誕生し、動物たちの姿が再び人々の心を癒していました。さらに、当時の新技術である蓄音機の展示やテレビの実験放送を行うなど、遊びだけでなく学びの場としても成長を遂げたのです。

動物園としての繁栄は続きましたが、時代の流れとともに昭和10年には動物園としての営業が終了することとなりました。これ以降、浅草花やしきは遊園地としての道を歩み始め、その後も時代に合わせた多様な楽しみ方を提供し続けています。

現在の浅草花やしき



現在の浅草花やしきは多くのアトラクションに恵まれ、訪れる人々に楽しさを提供しています。自らの歴史を語り継ぎ、進化し続けるこの場所は、2025年に迎える昭和100年に向けて新たな魅力を模索しています。また、今後も昭和時代の懐かしい風景や出来事を蘇らせる企画を通じて、この土地の歴史を語り継いでいくことでしょう。

『昭和100年と浅草花やしき』の特集では、今後も昭和の時代の花やしきについて詳細にお伝えしていく予定です。ぜひご期待ください。


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