CARBON JUNCTION -私と炭素市場の交差点- 第2回
新コラムシリーズ「CARBON JUNCTION」の第2回では、住友商事の木下裕介氏がカーボン市場への思いと自身の経験を語ります。彼はエネルギーイノベーションに携わり、カーボンクレジット関連ビジネスをリードしています。
木下氏の背景と原体験
木下氏が初めてインドに降り立ったのは、国連で気候変動枠組条約が採択された1993年。当時の彼は小学校の低学年で、異国の地における独特な生活に触れていました。見るものすべてが新鮮で、特に経済感覚や衛生観念が大きく変わったと振り返ります。
日本に帰国後、京都議定書が締結された時には、自身の経験から「暑くなっても大丈夫」と楽観的に語ったそうですが、若い頃の無邪気な自分を思い起こす言葉です。木下氏は、学生時代にはラグビーを通じて肉体的・精神的に成長し、自身の情熱をどう生かすかを考えていました。
総合商社での挑戦
大学卒業後、彼のキャリアは総合商社に入社することから始まりました。最初は国内営業のセメント部に配属され、大規模なプロジェクトに携わりました。当時はまだカーボン排出についての意識は薄く、気候変動についてもあまり議論されていなかったといいます。
しかし、彼は様々な部署を経て、ニュージーランドでの森林事業を担当することになり、そこで初めてカーボンクレジットに出会います。森林の買収交渉の中で、見積もり契約書に記載されていたカーボンクレジットについて戸惑いながらも、当時の金額からは小さな取引だったために了承。これが木下氏のカーボンクレジットとの運命的な出会いでした。
カーボンプライシングに対する関心の高まり
その後のパリ協定が結ばれると、エネルギー業界からのアプローチが増え、カーボンプライスが上昇する中でカーボンクレジット市場に対する興味が高まっていきました。自身の経験を通じて、混沌としたカーボンクレジット業界の魅力に取り憑かれ、今後この分野がどのように発展していくかに期待を寄せています。
「2050年には、業界全体で振り返りをし、成功の確認をしよう」とのビジョンを持ち、業界を盛り上げるための活動を続けている木下氏。彼のストーリーは、カーボンクレジット市場に関わるすべての人々にとって新たなインスピレーションとなることでしょう。
今後の展望と業界の未来
「CARBON JUNCTION」シリーズでは、今後も業界に関わるさまざまな専門家の声をお届けする予定です。カーボンクレジット市場の進展は環境問題への意識が高まる中で、一層重要なテーマになっていくでしょう。
最終的には、業界のメンバー全員が共に成長し、成功を収める未来を描いており、この時間を楽しみにしているようです。読者の皆様も、ぜひ今後のコラムに期待してください。
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